詩アーカイブ

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夢に、しばられる
人間は、それが好きたぶん、きっと

自分が描いた夢は、
きっと叶うんだと思う

眠っている間に見た夢は、
きっと、その通りになるんだと思う

夢か、ただの願望か
時折、自分すら分からなくなる

ただ、「夢」だけにしばられる
何らかの形で、その通りになってしまうかもしれない
それが叶わないといけない

たしかに、そういう夢もあるだろう

けれど、そうじゃない夢もあるんじゃないかな

要は、その違いをどのように知ることができるか
かなり難しい

それは、人生の答えをどう見つけるか
いつもいつも、与えられていたら
この人生を生きる意味がなくなる
ということに通じるのだ

夢という、自分の願望、心配、不安に
とらわれすぎて、目の前の人生を
生きることを誤らないように

足りない

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足りないと分かりつつ、
付き合わないといけない

けれど、足りないことを
ふと忘れてしまって、
その足りないことを責めてしまう

そして、足りないことに
また意識が集中してしまって
さらに、その足りなさを埋める時間が
また足りなくなってしまう

そして、足りないことは
何も変わらない

下手すると、さらに
足りないことになっていたりする

足りないことには
集中しないほうがいい

それを忘れないことの
集中力が足りなくならないように
がんばることが一番難しい

誰と

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誰といっしょに
食べるのか

誰といっしょに
そこへ行くのか

誰といっしょに
それを行うのか

誰といっしょに
それを見るのか

誰といっしょに
生きていくのか

そして、
どのくらいの時間、
そうしているのか

それが、
それを終えた後の
気持ちを生み出す

欲求不満に陥って、
何かせずにはいられなくなる

満足して、
しばらく何もしなくても
じっとしていられる

誰と何を、どれくらいの時間、
やっているのか、なんだよね

もらう、あげる

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評価してもらう、
評価してあげる

やってもらう、
やってあげる

愛してもらう、
愛してあげる

お金をもらう、
お金をあげる

助けてもらう、
助けてあげる

「もらう」と「あげる」は、
シンプルな関係に思われる

けれども、見える関係とは逆の、
「あげる」と「もらう」になっていることもある。
意外と、微妙な関係かも知れない。

スッキリ

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やりたいことは、
だいたい、スッキリしたいこと。

余計なものを排除する、
整理されていないものをちゃんとさせる、
足りないものを集めてくること。

それを果たせば、スッキリする。
けれど、それも、一時的なこと。

また、スッキリしたいことが湧いてくる。
スッキリして、いざ、スタートという時に、
また、スッキリしたいことが出てくるから、
なかなか、始めるべきことをスタートできない。

いつまで経っても、スタート地点。
ゴールは、ほど遠い。

でも、考えてみれば、
わたしのゴールは、スッキリなのかな。
いろんなことをスッキリしたいのだ。

あくまで、それは、自分のモノサシでしかないが。
そう、独善的なレベルの行動だ。
それで、スッキリしたいだけ。

だれかが、それで益を受けるわけじゃないだろう。
ただ、自分がスッキリする「益」を受けるのだ。

だれのためにもならない、私のスッキリ。
そうやって、スッキリすることだけを考える私は、
いつしか、自分の人生を終えることでしか、
スッキリできない時期に到達するんだろうなぁ。

役にたたなくなった自分を、
それ以上、生かす意味を見出すことができず、
延命措置などすることなく、スッキリと、世の中から去りたいと。

自分の人生が、いちばん、スッキリしていないのだ。

テレビ

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テレビは、楽なもの。
ただ見ていればいい。

英語音声で聴いたら、
どうだろう?
さっぱり分からない。
これを、ちゃんと分かるようになりたい。
どれほど、勉強したらいいだろう?

そう思って、勉強を実行するなら、
テレビも、また価値のあるものになる。

けれど、思っただけで、
また、ただ日本語音声で
テレビを流し見るだけなら、
やっぱり、テレビはテレビのまま。

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音は、うるさい。
自分の意志で作ったり、
出している音以外は、うるさい。

自分から出る音ですら、
自分の意志と反しているとか、
自分の意に沿わない音なら、
きっと、うるさく感じるだろう。

他人の音は、うるさい。
テレビの音、食べる音、
スマートフォンを操作する音、
生きている音、なんでも。
勝手なもんだな。

自分がその瞬間に聴きたいわけじゃない、
という理由だけで、邪魔に感じてしまう。

ある人を嫌いになると、
おそらく、その人の発する音すべてが、
さらに嫌いになるのだろう。

その嫌いな音が聞こえる中で、
眼の前に好きな人、大切な人がいたら、
どうしたらいいんだろう。

心は、音に嫌悪感を持ちながら、
大切な人には、笑顔でいられるって
できるんだろうか。
なかなか、難しい。

その音に対する気分のために、
大切な人に、素っ気ない態度、
冷たい態度、怒り、不満をぶつけてしまいそうだ。

音は、うるさい。
聞こえるから、うるさく感じるのだ。

でも、聞こえなくなったら、
何もかも聞こえなくなってしまう。

聞こえるとは、すべてが聞こえること。
取捨選択できないのが、つらい。

きっと、聞こえが悪くなって、
補聴器をした時には、
音の取捨選択したい気持ちとは無関係に、
すべての音が増幅されて、耳に入ってくるんだろうな。

なんだか、とても、うるさそう。
だから、補聴器を嫌がる人が多いのだろう。

聴きたくないものを聴かない選択は、
見たくないものを見ない選択より難しいかもな。

何をしているの?

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何をしているの?
何を考えているの?

何か悪いことが起きてるんじゃないの?
何かに巻きこまれているんじゃないの?

見えないことの不安は、
それを考えれば考えるほど、
それに関われば関わるほど、
ふくらんでいく。

たしかに、その心配どおりのことが、
起きている可能性もなくはない。

けれど、これまで、
90%はそんなことはなくて、
残り10%は、起きていたには起きていたが、
心配していたことでない、別のことだったのだ。

何をしているの?
を考える暇があったら、
自分は何をしようか?
を考えた方がいいのだ。

ひかえめに

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欲をもたず、
大げさにせず、
目立とうとせず、
お金もそれほど必要なく、
人の迷惑にならないように、
生きていこうとしたら、

きっと何が楽しいのか、
と言われるのだろう。

何が楽しいのか、
説明しなくていけないもんかな。

そういうふうに、
ひかえめに、最低限の生活で、
生きていける、サバイバルのようなことを
自分ができる、やっているっていうのは、
なんか楽しいんだな、と答えるかもしれない。

ひかえめに生きるっていうのは、
そういうことなんだろうな。

そういうふうに生きられる、
という「達成感」が、
自分を楽しませてくれるんだべな。

それほど多くを必要とせず、
それほど多くを求めず、
今あるものに感謝していきられたら、
それで十分、幸せなんだべな。

歳をとれば、そうなるのかな。
もしも、ならないとしたら、
きっと、忙しない老人になるんだろうな。
うるさい、とも言われるかも...

責任

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面倒をみなければいけない、
という責任は、面倒だ

とは言っても、
面倒をみることから逃げれば、
もっと面倒なことになる可能性がある

完璧な世捨て人にでもならない限り、
面倒をみる責任からは、
逃れがたいのだべな

ああ、面倒だ

でも、その面倒なものと
ちょうどいい付き合い方を見つければ、
それほどでもない

面倒だと思うから、面倒になるだけ
そういうことだべが